カレンダーも表紙に対応州が書いてあるのですが、この日は州関係なくどこもお休みです。
Googleでもフォルクスワーゲンのビートル(西ドイツ代表)と、トラバント(東ドイツ代表)のイラストでお祝いしています。
今年で統一27年を迎えますが、せっかくなので東ドイツ出身の方に色々質問してみようと思います。
一番身近な東ドイツ出身者と言えば、何を隠そう私の旦那!普段は標準ドイツ語で話している旦那ですが
素を出せばものすごいベルリン訛りの元東ベルリンっ子。兄が1人いるのですが、兄弟間で喋ると途端にベルリン訛りです。
さて、そんな旦那にドイツ統一の日で一番印象に残っていることを聞いてみましょう。
旦那「え?個人的なこと?それなら西側に行けるようになって、初めて西側に出かけた時かな。走っている車、売られている果物、機械類も全然東とは違った。果物なんて見たことのない物ばかりで。」
−見たことのない果物って?
「色んな南国フルーツ。アボカド、パパイヤ、ココナッツとか。そもそも果物の名前が当時はわからなかった。バナナは東ドイツでも時々だけ食べられたよ。家族で初めてココナッツを買ってきて、開けるのにめちゃくちゃ苦労した末、ココナッツウォーターを飲んでみたら不味くて衝撃的やったなぁ」
−壁が壊される前に見に行ったことはある?
「そもそも、壁の存在を知らなかった。8、9歳くらいやったし、その歳ではまだ学校でも習ってなかった」
−壁がなくなって良かったこと、嫌だったことは?
「良かったことは、買う商品の選択肢が広がったこと、色んな場所や国に行けるようになったこと、自分が勉強したい分野に進めたこと。嫌だったことは、たくさんの東側の人が仕事を無くしたこと。地域の安全性も低くなったように感じた」
−西側の人と話してみた時の感想は?
「初めて話したのはセールスマンやったし、自分がまだ子どもやったから特に思うことはなかった。ただ西ベルリン出身の人たちは、とっても極端な標準ドイツ語を話すから、東の話し方とは全然違った」
−ベルリン訛りに関して何かエピソードは?
「大学に通い初めて、スペイン人の友だちができたけどとても上手にドイツ語を話す人で。外国人であんなに上手なドイツ語を話す人、他には知らないくらい。で、その彼とだいぶ親しくなってから、知り合ってすぐは実は何て言ってるか全く分かってなかったって言われて本当にびっくりした。そんなに訛ってた!?って」
−東ベルリンと言えば何を連想する?
「自分の子ども時代」…当時はここが東ドイツって気づいてなかったわけですが。知らないって色んな意味ですごい。
有名なベルリンの壁は28年間存在し、東西の分断自体は45年間続きました。統一後も東西の経済状況は差が大きく、
ようやく近年(!)東側が西側に少しずつ追いついてきているようです。私は数年前どちらにも行ったことがあり
建物の作りなどは東側がシンプルな感じでしたが、最近のベルリンはアートの街として世界から注目を集めているので
また雰囲気が変わっていっているかもしれません。今のところ、行く予定は特にないので確認のしようがありませんが(笑)
今日はここまで。
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